自分が創るというほどのことでもない。これはすごく確かなこと。 素材がなければ、イメージの刺激を受けることがないのはもちろんのこと、重力や空気がなければ、例えばコラージュを作るにしても、鋏を持つことすらできない。 開放系としての自分は、制作という現象の一部を確かに占めているけれども、それはアウトプットの物理的な装置のようなものであり、何かがどこかからきてまたどこかへつながっていく、通路にすぎない。 Tweet Share +1 Hatena Pocket RSS feedly Pin it - 制作と制作心理 またほめられた前の記事 お犬の名前次の記事