自分

自分が創るというほどのことでもない。これはすごく確かなこと。

素材がなければ、イメージの刺激を受けることがないのはもちろんのこと、重力や空気がなければ、例えばコラージュを作るにしても、鋏を持つことすらできない。

開放系としての自分は、制作という現象の一部を確かに占めているけれども、それはアウトプットの物理的な装置のようなものであり、何かがどこかからきてまたどこかへつながっていく、通路にすぎない。

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