からだはたて、眼はよこ

私は縦型の画面で制作することが多い。具象的なイメージの強度を眼で確認しながら、身体感覚としては垂直性を、つまりからだの軸が立つような感覚を追うのだが、そうすると勢い画面を縦に設定している。

一方、コラージュにペインティングやドリッピング、デカルコマニーなど絵具を使う技法を加えたり、あるいはストレートなコラージュでも素材から意味をできる限り捨象して形のある絵具のように使う意識でいると、画面を横にすることが増える。後者の場合は、身体感覚の活用はやや抑えられ、視覚の働きに依る比率が高くなる。

美術史家・批評家林道郎氏の講義録「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」のサイ・トゥオンブリ編に、近年具象性の高まりにつれてトゥオンブリの画面に縦型が増えていることが指摘されている。

縦型における焦点化のし易さ、精神性、観る者との対峙的な屹立感等についても言及されているが、参加者の一人が縦型画面について「なんか滝っぽい・・・」と発言しているのが印象的。自分も含めた空間を清めるような作用、またこちら側に何らかの主体的な変化~行動であれ感覚であれ~を、挑むような感じで促してくる感覚。自分はそれを縦型画面に求めているように思う。

一方横型はもう少し懐の深い感じで、そのままでもよい、ただの眼になって見ていて、頭で整理したり、考えたりする前に、と言っているような気がする。

からだはたてに立ち、そのてっぺんには頭がある。眼はよこに並んでついており外界を感受している。そういう具体的で単純な(風に見える)ことが、脳の出力としての制作行為、あるいはその結果としての作品を鑑賞する際には必ず、関わっている。

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