何かに触れたり、見聞きしたり取り組んだりして、自分がそのエッセンスを感じ取った、理解したと思ったら、その認識の正しさについて更に証拠や実例を集めるなんて、かったるくてやってられない。たとえ他人によりうまく説明できれば自分にトクがあるとしても。
こういう人間はまったくもって学者には向かないと自認。などと言うと学者の方に怒られそうだが。
いつも、真実というものは自分のすぐそばにあるのだと感じている。
まるで着ている服のように、それは肌に接するようにありながら、私と一体には、ならない。
常に認識の「対象」として、とどまり続けているのだ。自分がそれを「見る」とき、それは私から、わかれる。