汝自らを

自分を理解するということはどうやら重要なことらしい。自分探し、などの言葉があることでもそれは知れる。
美術だって自分を理解することは必要だ。なぜなら、どうして他ならぬこの自分がそういう作品を創っているのかを理解している方が、その理由を還元・強化してよりよい作品を創っていく上で有利だからに他ならない。

でも、自分を理解するのはそう容易なことではない。
先日夕食の際に赤ワインを飲むかネグローニを飲むかえらく迷った。ネグローニはカンパリを使ったカクテルで、赤ワインとは赤っぽいということと苦みがあるということでなんとなく共通項はあるものの、醸造酒と蒸留酒であるし、片方は混ざってないし(「葡萄」は混ざってるかもだが)一方はミクストドリンクなので違うところの方が多い。
自分は何らかの理由により数多くのドリンクメニューの中から比較的素早くこの2種を候補として選んだ(選ぶことができた)。しかしなぜ他は簡単に排斥されちゃったのかを知らない・・、そしてどうしてこの2つの間でかくも迷うのかもわからない。自分のことなのにわからないのだから恐らく自分は自分を知らないんだろう・・・。

5分位迷って結局ネグローニにした。どうやって決めたかというと、その瞬間の自分の体に聞いてみた。
かくして私はその時多少なり自分を理解したのかもしれない。
でも世の中における自分を理解するの自分とは、もう少し長いレンジでの「自分というもの」であるような気がする。長い時間でもって、過去やなんかからも遡って自分がどういう人間であったかを考えることも意味はあるかもしれない。でも、逆にそれを考えすぎちゃうことによって、失うものも多いような気がしてならない。

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