題、ダイジ!

Zelan-collage-22
随分と前の話だが5 x 8cm位のこぢんまりしたコラージュの作品を創って、知人に、「これ何ていう題にしたらいいかなあ・・」と問うたところ、『360度円形の地獄』と即座に答えたのでびっくりしてしまった。

ちなみにその作品はギリシャっぽいずろっとした白いひだひだの服を着た哲学者風のおじさんが二人、解剖学の古い本から持ってきた人間の血管と血球の図を二つ組み合わせたものの上に腰掛けて話をしているという、モノクロの地味な作品であった(この説明でジミかハデかはわからないかもしれないが)。ともあれ、題に対して作品の方が負けていたので自分は『360度~』は採用しなかった。その作品は確か、『これもまた同じ一日』という題に落ち着いた。あれどこにいっちゃったんだろう・・。

何を言おうとしたんだっけか・・・そう、「題(タイトル)も作品の一部」なのだということ。題もダイジ。額に入れる絵であれば額も作品の一部で、ダイジであるがごとく。
具体的には例えば夕暮れの風景に『夕暮れ』とつけるのはやめましょうね、ということかしら。ふざけてるのでなく、これ実に多い。むしろこれ系が主流ではないかと自分は踏んでいる。夕暮れの風景に『夕暮れ』ってつけちゃったらでも、絵を観る人は見たままのことを題としてまた目にさせられる訳だから、はっきり言って時間のムダなのである。

絶対見たまんまにしてはならないということは実はないが、こうした「例外」については、またいつか書く。だけど、タイトルに関する第一の法則、それは「見たまんまにしない」ということであります。
その前に第ゼロの法則があって、それはまず「題をつける」ということですが。
そもそもつけなかったら、話が始まらないよ・・。

そういえば「無題」という題についても私見を別途述べたいと思う。
題については色んな論点があって、話がなかなか終わらない。

(図像は是蘭『胚種譚 What an Embryo Says』)

同じカテゴリーの記事

  1. 論理ではなく態度である

  2. 積み上げ

  3. 絵の中のアルゴリズム

  4. 工夫

  5. インプットとアウトプット

  6. 欠落

Blog「原初のキス」