以前はお正月に門松を見ると若干の季節感を感じつつ普通に通り過ぎていただけだったが、今年の私は竹の切り口を観察する。切り口が段になっているとおお!と大いに喜ぶが真っ直ぐだとあまりおもしろくない。
前者は非常に少ないので大概はつまらないという結果になる。今まではニュートラルな気持ちですんでいたのに、少しばかりソンをしているかもしれない。
こういう状況になったのは去年、門松の竹の切り口には二種あるのを知ってしまったからだ。それにより自分の中に途中で角度がついているものに対する明確なシュミが確立してしまい、角なしストレート組が一種の差別対象となってしまったのである。
ある事物・事象においてAとBという違いがあるのを知ると、それらの間に趣味嗜好、即ち「差別」が生じるのだ。人の脳はことさら差を認識するのが得意であり好きであるから、ある程度は避けられない。
でも考えてみたら、ちょっと知っただけでなくてもっと深く知ったらどうなのかしら・・・。差別が起こるのは知り方が中途半端だからのような気がかな~りする。門松についてはそこまで興味がないから調べないけど。