初めてのコラージュ

今を去ること20年程前、自分はふと思い立ってラウニーというイギリスのメーカーのパステル木箱入りを何万円かを投じて買い、花瓶に生けた百合の花を勇んで描き始めた。

結果は「ムフー・・(不満)」というものであった。描写の鍛錬をせずにいきなり取り組んでいるのだから無理もないが、何日も何十時間も苦しんだ挙句セミプロ級の知人に見せたら彼は笑いながらざくざく手を入れて、10分もたたない内に絵としておおよその格好をつけてくれた。がそれはもはや自分の作品ではなかった。

それから暫く月日がたち、北川健次氏と言う高名な銅版画家で今も日本のコラージュでは第一人者である方の下で勉強を始めた私は、最初の宿題で生まれて初めてコラージュを作った。

一発で大変にうまくいき(と少なくとも当時は思った)、自分は嬉しくなった。

今でもその時作ったイメージをはっきり覚えている。暗い夜を背景に緑を帯びた荒れた海があり、そこを目隠しされた大きな白馬が赤い豪華な鞍を付けてザブザブと進んでいる、というものであった。馬っていうのは大変に水を怖がるもので、水たまりひとつ超えられない。海辺を走っている馬なんてそういう風に訓練されてるだけよ、と乗馬をしていたお嬢様の知人から聞いたことがあったが、作品を創りながらその話を思い出していたかどうかは忘れた。

いずれにせよその時、もうそこに(自分の外に)世界はあって、それは自分が興味を持てば少しこちらを向いたり遊んでくれたりする、ならば、苦しみながら世界そのものやその要素を作ろうとするのはやめて世界に遊んでもらうという道の方がいいな、と、思ったのである。

その後色々あって今ではそこまで単純に考えている訳ではないけれど、コラージュという技法は、すぐに始められ、自分の感覚を喜ばすことのできる成長を素早く実感できる。

人が作るものというのは1から10までその個人の技術的心理的人格的自画像だ。だから自分が20年前に書いた百合の花だって立派に自画像だったのだが、コラージュはよりストレートに迅速に具体的イメージとして、自らの関心やセンス、そして非言語的な脳内の象徴作用等々につき、創ることを通して知ることができる。

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