考える速度

自分はなぜものを書くのか、を考える。私にとってそれはどちらかと言えば義務的に、あるいはアディクティブに(このふたつは感覚的には似てるなあ)やってるのであって、実は自分はさほど言葉というものを信用していないし、できれば言葉なしで色んなことを認識し、その認識に基づいて言葉以外の方法で言葉では表せないものを表現したいのである。

そうはいっても自分で考えたこと、観察して発見したことを表現して人とわかちあうのは言葉がてっとりばやいし思考のツールにもなる。一方、うだうだした感情にただ言葉を貼ってたれながすのは、どんな頭よさそうに見えることを言っていても、究極的には時間のムダ。

しかしやっぱり言葉使っていもづる式にわかったり整理していくというのは、自分の頭の程度からするとしょうがないとしてもかなりかったるい。以前の仕事で見てきた、会社などですごく偉くなる人々は、例外なくやたら判断が速かった。えっとえっと・・・とか言葉使って整理してるの、一度たりとも見たことない。もちろん解をひっぱってくる経験データベースは膨大だけど。まあ、判断速くて間違うことも多々あったが、それに対応するための判断も速いから、高速でまわして経験値がますます高まるという訳だ。

同じカテゴリーの記事

  1. 言葉には気をつける

  2. 言葉

  3. 矛盾

  4. 行動だけを、制御する

  5. 期待

  6. プライオリティ

Blog「原初のキス」