スペクタクル天ぷら屋

しばらく前にグルメの知人と食事に行き、天ぷら屋に入った。知人も当方も初めての店だ。

カウンターに座ると、かなり高齢の、やや手元・足元のあやしいご主人の背後に、取り付けてある棚状の部分に乱雑においてある調理器具や、盛大にほこりをかぶった酒瓶等が嫌でも目に入る。店における「統制感」「清潔感」というものは皆無である。

神経質な自分はだんだんちぢこまってきた。丁度目の前の棚になんの遠慮もなく置いてある胃薬がことさらやばげだ。あそこに置いてあっても別に自分がそれを飲む訳ではないが、なんだか悪い予感がする。

と、いうことでびくびくしていた自分だが出てきた天ぷらはこれまでの生涯において一番おいしかったのである。

教訓: 真の価値を作るプロセスにさえ妥協がなければ、その価値は実現する。

多分ご主人が若い時分にはこの店もきれいだったかもしれない(そうでなかったかもしれないが)。

が、天ぷらを第一義とし続ける中で、他のことは捨象されていったのだ。捨象していかなかったら、今より少しきれいな店と今よりキレの悪い天ぷら、という組合せになっていたような気がする。

なんだか作品制作面においても同様のところがあるのではないかと思い、それで記憶に残っているのです。

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