静か

今いるところは夜なんかかなり静かだ。

昔の漫画などで静かな場面にわざわざ「シーン」とでっかく書いてあったりしたけど、確かに、耳の穴の中に向こうから物理的に迫ってくるような感覚を覚えるほど。静寂とは音がない、つまりは何かが欠けていて、受け手にとって感覚の負荷がその分減って受動性を発動しておけばいいだけの状態などではないのかもしれない。「静寂さん」にとってみたら能動的な行為であり、受け手の内部に「攻め入ってやろう」というほどの(「静寂さん」の)気概を感じるのはこのせいなのかも。

一方音があるとき、人の知覚はそれに対抗してはじき返すような動きをとり、一種の作用/反作用みたいな状態になって、感覚刺激の元々の大きさそのものは相殺され減衰してしまっているのじゃないかしらん。

そういえばまったくのうろおぼえだけれど、ものすごく静かなときは自分のからだの中の色んな活動や作用(代表的には血流など)の音が聴こえるのだ、と聞いたことがあるような気がする。だとすれば静かになったとき迫ってくるのは、静寂そのものの側にある何かではなく、実は自分の中に常に存在していたしこれからも存在し続けるだろうものの、一種の気配なのかもしれない。

同じカテゴリーの記事

  1. 実感という罠

  2. 感覚の相対性

  3. おもしろい

  4. 垂直偏愛症

  5. みどすけに関する観察 

  6. 新聞 

Blog「原初のキス」