感覚や思考にも運動性があって、向こうから来て自分の中にたまったり、回転したり、通り抜けていったりする。それらの多くは単にさっと通り過ぎていくけれども、からだにはいった瞬間に思考=言葉がつかまえると感覚もとどまる感じがする。また、ずっと頭で考えてばっかりいると、その間感覚はほとんど無視され、何も感じずにロボットのように自動運動してしまう。
からだを「ひらく」、「とじる」という感覚を観察してときどき遊んでいる。からだは開放系のシステムなので、結構繊細に、触れてくる物理刺激や情報の種類、またそれがからだのどこに触れるか、それから何を考えるかによって細かくとじたりひらいたりしている。都会の森(と私が言うのはよく行く自然教育園)を歩いているときなど特段の危険がないときに、感覚や思考をからだに滞留させずに通していくと、からだは結構安心してひらいていることが多くなり、そうすると急にいきいきして、大きなエネルギーが満ちてくる。