コラージュってシュルレアリスムの技法の一種で意外なイメージをぶつけあわせたりして人をおどかそうとするもの、とか思っている人が多いかもしれないが、別にそれはそれでいいんだけど、コラージュが問題にしているのは実は、何かが透明であったりなかったり、その透明さを通して、何かと何かが層状に重なり、同時に存在しているということだったりするのではないかと思っている。いずれのモチーフもそれが選ばれた限り、そのまわりに本来あったものが「透明」になっているのである。切り取られたからといって、完全になくなってしまった訳ではない。
人間の視覚だって、実は普段そういう風にものを見ているのかもしれないし。人は見たり見なかったりする。自分が見えているものを、見えていないものに平気で重ねてみたりとか。自分の意識で本来同時に存在しえないものを無理やり存在させたり。そういう意味ではコラージュは人間の現実の知覚そのものの似姿なのかもしれない。