ないということ

私が長い間公私共に関わってきた身体技法アレクサンダー・テクニークの著名な教師、マージョリー・バーストウの言葉に、「感覚を記憶していたら、決して変われない。」というのがある。

それがいかに快適で自然に感じようとも、自分が以前経験し既に知っている感覚が現れることを望みつつ何かをする限り、そして狙った通りそれが現れたら「正しい」と感じる感性を抜け出さない限り、本当の精神的、肉体的、また行動における変化は現れないということ。

すべての経験は厳密にはただ一回しか起こらないという事実からすればあたりまえのことだが、でもこのあたりまえを、つい忘れる。

彼女はまた、「持っていたものがなくなることが、得られるもののすべてなのよ。」と若干神秘的にすら聞こえる言葉も残している。我々が生きている上での苦労や苦痛の元となっているものは、からだの使い方などにおける不適切な習慣、ちょっと肩が凝るというレベルを含む様々な体調不良やら、精神的な不満、不安やもっと激しい怒り、などだが、そういうものがなくなること、なくすことによって、我々は必然的に今より幸せになるはず。

何かを「やめる」ということ、何かが「ない」、ということ、その価値に対し、常にもっと意識的である必要があるという、彼女の言葉はかなりラディカルな警鐘であるように聞こえる。

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