しない、あるいは、やめる

自分が関係していてこのブログにもときどき書いているアレクサンダー・テクニークという西欧の伝統ある身体技法は、「しないこと」の重要性を説いている。

これがどのくらい革新的なことなのかは、我々がいかに常に何かを「すること」、今やっていることに何かを「加えること」が、自分の目的達成に対し重要かと、無意識的に考えているかを思えば、明らかだ。まあ、無意識的と言うだけのことはあって、人はなかなかそれには、気づかないのだが。

ウォルター・キャリントンという有名なアレクサンダー・テクニークの教師の言葉に、以下のものがある。「何が間違っているのか気づくのが難しいことはめったにありません。しかし、それを今すぐ何とかしたい、正したい、という衝動が即座に、必ず生まれてしまうのがまさに危険で、あっという間に間違ったことをしてしまうのです。」

しない、あるいはやめる、ということが、極めて理に適った選択肢のひとつたりうるということを、覚えておいて損はない、はず。

と、たいそう抽象的かに見えることを考えたきっかけはと言えば、少々疲れて、ソファに座って10分程おとなしくしていたら、突然びっくりするほどのエネルギーがチャージされた、という経験をしたという、ただそれだけの、ことなのだけれど。

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