ひびきとふるえ

モノにノイズが混じっているとき、モノは震えない。
モノにノイズがなくなった途端に、震え始める。

この感覚って何なのか。

手元で何か創っているときも、外のものを見ているときも、あるいは音楽などを聴いているときも、この感覚はときどきおこる。ノイズというのは、「余計なもの」という程の意。たとえば微細な画面の汚れとか。モチーフの運動性の狂いとか。視覚あるいは聴覚と、体感覚が交差する感覚かと思うが、もしかしたら自分だけが感じているのか、そんなはずないとは思うけど。こんな風に表現する人は、多くはないかもしれないが、皆同じようなことを、感じているのではないかしら。

昨日食事をしていたとき隣の席の若い男女が物理系の方々らしく、話題がもっぱら「共振・共鳴」のことであった。興味を持って帰ってからグーグルで共振現象の原理など調べてみたが、物理的な説明以上にニューエイジのサイトばっかりひっかるので辟易した。共振ってそういう世界なのか・・。

自分は批評的言語を持たないのでこういう言い方になってしまうが、美術作品などでもいいものを見ると、わんわんうなりながら激しく震えているように見える。脳の中で、感覚情報が、瞬間ごとに刷新される。これも一種の共振現象なのかもしれない。

震えるといえば以前部屋のどこかからブーンと高周派の音がしたので探したらイスラエル製のガラスの小瓶が飾り棚の中で激しい勢いで振動していたことがあった。目に見えないくらい速いので瓶の輪郭がぼやけるほど。別のとき新宿のとんかつ屋さんで、おみそ汁の椀を店の人がテーブルに置いたとたんに蓋がブルブル震えだして5メートル四方にゆうに聞こえそうな音がしたのでびっくりしたこともあった。この話をした知人の出版プロデューサーの女性は、「あら、うちのおみそ汁の蓋もしょっちゅう鳴るわ。」と言った。ニューエイジの人が聞いたらがっくりするかも(しないかな・・)しれない話ではある。

同じカテゴリーの記事

  1. みどすけに関する観察 

  2. あなどれない・・・

  3. グラス

  4. 位置  

  5. 感覚の正当性

  6. おもしろい

Blog「原初のキス」