やる気は本当にいるのか

絵を創り始める時などやるぞーという気分が高まってなんだかリア充な感じがすることがあるものだ。
しかし最近思うのはこのやるぞっていう気分、本当に必要なのかということ・・。頭主導気分と体主導気分というものがあるとすればこれは明らかに前者であって、体からしてみたら単に少々あたふたして緊張が高まってるだけでもっと落ち着いてやってくれよという感じなのでは?

思い出すのはアレクサンダーテクニークという、心身両面から姿勢や動きの改善を図るシブい身体技法の創始者 F.M. アレクサンダーが、「宗教心も筋緊張の一種のパターンに過ぎない」という主旨のことを言ったことだ。やるぞーという気分に伴うリア充感、その背後にあるであろう筋肉及び心理面の昂ぶりは、作画に対して本当に完璧にワークしてるのかむしろちょっとした無駄なのか、考えたり感じたりしてみてもいいのではないかと自分は思っている。

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