眼医者の武蔵  

眼が少しばかり充血して眼医者にいって診察を待っていたら、コンタクトレンズが初めての人に入れ方を指導しているスタッフの人が近くにいて、

「(コンタクトを)入れようとすよりむしろ、目をあけておく、って感じで・・・」

と、いう言葉を発したので自分は耳をそばだてた。盗み聞きみたいで申し訳ないが、もう急にその言葉が100ホン位の勢いで耳を通りこして心を射抜いたのである。だって人はコンタクトを入れようとするのだ、入れるところなんだから。それなのにその心性をシフトして、いきなり「目をあけておく」ことに意識を使え、というアドバイスである。

もちろん特に初心者においては目に異物を入れようとした際、つぶりたくなるのは当たり前、即ちこれは得たい結果(コンタクトを装着する)に対し最大の障害であるところの目をつぶってしまうことに対する「抑制」の指示なのだからとても合理的ではあるんだけど、単なる合理性では片づけられない、なんだか宮本武蔵の五輪書的な、極意伝授の響きがある・・。なぜなら人はいつだって何でもとくかくやりたいことがやりたくてしょうがないのだ。それは某国の大統領の昨今の行動及び雰囲気を見るとちょっと象徴的にそういう風なんだけど、もとい、コンタクトを入れようとするとき、その意識に占拠されるとそれを可能とする背景状況(この場合は目を反射的に閉じずにあけておく)まで意識が到達しないのが普通である。つまりこの助言若干、「超人たれ」と言ってるみたいな・・・・。

絵を描く際によく強調にされるのが、ポジティブスペース(主たるモチーフの輪郭やその内側)と同等にネガティブスペース(モチーフの輪郭から外にある、つまり一見背景になっているような部分の形態)を認識するということなんだけど、これはそれに近い。ポジばっか美しくしようとしてもネガが忘却されてたら全体としては美しくならない、即ち目指すところの達成の機会を逃すのである。

ということで急に頭を忙しくしていた私だったが、目の充血は単なるドライアイのせいだった。目薬だしますか、ほっといても引くと思いますけど、とお医者さんに言われ、「目薬を入れる習慣がないので・・」というよくわからない理由を言ってそのまま帰ってきた。料金は丁度千円だったが、上記の名言を聞き及んだ対価としては安かった、かなりトクしたような気がする。

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