すべてがみちみちにでばっている画面ほどつまらないものはなくて、必ずや何かが欠落していなければならない。でも油断するとつい、何か足りない気がするから埋めたい、という目線で素材を探していたりする。バランスは取ってはいけない、バランスというのはそれをむしろ不安定にして運動を起こさせるためにある。
欠落があるのでそこを埋めるという発想でうまくいくことは稀で、欠落している状態で生まれつつある魅力がないか十分注意して、それをより魅力的にする何かが見出されたときだけ(放っておくという選択肢は常に比較として忘れずに)、アクションを起こす。
全体を最初から決めておかないで、決めながらすすむという感じ、これもなかなかいい。皆、実際の処そうしているし、そうせざるを得ないし、そうし続けてきたのかもしれないけれど。伝統的絵画とかコラージュにおいてのみならず、普段、生活している中でも。