北川健次氏の作品

コラージュを勉強している時、美術家の北川健次氏が、過剰な意識を脇にどけておくために背中から手をまわして後ろ手に素材を置くとか、目を閉じて置くというやり方もある、とおっしゃっていたが、自分は一旦置いた素材を左手でぐっと動かしたり、(行儀は超わるいが)床に置いてつまさきで動かしたりする。人間というのは意識をそれなりに信用し、ていうかそればっかりに依存して生きていたりするものだが、ほんとそれって正しいのか?と思う一瞬。

北川氏の作品は、まるで「鉱石」か「宝石」のように、存在としての純度の高い事物の持っているはっきりした風情を伴っていて、こちらの体軸をしゃきっと立てるような気を発する。以前、細いガラス管の中に、高い周波数で激しく震える水銀をしこんだオブジェ作品を見たことがあるが、その水銀のように彼の作品は目の中で動き続けて、美術作品も結局は「運動」なのだということを、思い出させてくれる。その自然な、つまり何の規範に照らしてかはわからないが極めて「正確」だと感じさせる運動は、人為だけではおこすべくもないものである。

北川健次氏 オブジェ作品

 

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