「イメージ」と「マチエール」

色だの構図だの平面美術を構成する要素は多々あるが、極言すれば「イメージ」と「マチエール」ではないかと突然思う。この二つについてはベン図で言えば真ん中の重なってる部分の広さがゼロとは言わぬまでもあまり大きくない。上述の例に出した色や構図はイメージとがっつり重なってて、とても他人とは言えず、というかイメージという上位概念に対するその構成要素って感じがするのよね・・。

前このブログに書いた、池田満寿夫氏が油絵を描いている時のマチエールとの格闘についての話をまた思い出した。
版画には版画のマチエールがもちろんあるけれども、どっちかといえば高さがなくさらっとさっぱりしており、マチエールマチエールしていない(ヘンな言い方・・)。で、自分はこの高さのないマチエールが好きなのです。凝ったマチエールも素敵だがそれとイメージと両方見えるのが少し疲れる。イメージ>マチエールと主従関係であってほしいのだった。

とああだこうだと雑駁な論を展開しつつ、結局の処イメージとマチエールはごくごく合ってないといけないはず。完璧なカップルのように。という意味ではやはり、この二つは本質的に「他人」なんぢゃないかしらん。

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