非論理性はストレスである

屋外ではマスクをしなくても大丈夫という話を聞いてそっかーと思い、なけなしのマスク節約のため顔を晒して散歩に出たが、鼻が急速にムズムズしてきて自分が花粉症だったことを思い出す。

いかん、頭が完全にコロナに乗っ取られている。
理性の中枢前頭前野の活動が抑制されているのだろうか。

最近テレビで専門家の説明に接すると少なくとも表面上はちょっと論理的でなく聞こえることが少なくない(例えば芋づるでクラスターが補足されているようにしか見えないのにある程度全体状況が見えているように表現されるなど・・)。こういう状態に日々接していると、頭が疲弊してくる。
自分がジャーナリストなら、すいません、大阪にライブハウスって何件あるのでしたっけ、とか質問しそうで(いくらか屋外も含むと思うがライブ可能な会場は700位あるようだ)、根が視覚系の自分はジャーナリストでもないのに実際に会見会場でその質問をしているの図が動画で脳内に展開してしまう。前頭前野が益々疲弊するかもしれない。

ということでこういう時は絵を描くのがよかろうと思われる。
美術はあーすればこうなるというインプットアウトプットのセットを仮説に基づいて続々確認して行くもので、制作においては少なくとも自分に対する論理的にスジの通らないようなわかりづらいコミュニケーションの介在する余地があまりないからだ。このやり方では前は十中八九失敗しましたが、今日は天気も気分もいいからうまくいく可能性がかなりあるに違いないんですよ、とか。

それやるとうまくいかない。かつて絵を描く知人が言った「思ったようには決してならないが、やってるようには必ずなるんだよね・・」ていう言葉もふと思い出す。

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