下がってから上がった話 ~ 福沢一郎展@東京国立近代美術館

困ったな、と自分は思った。竹橋の近代美術館でやっていた福沢一郎氏の回顧展最終日に駆け込みで来場し、初期のコラージュ的絵画作品から後期の神話や現代風刺をモチーフとする大作までほぼ全ての作品を見終わる頃合いになっても、自分にしては珍しく、どの展示でも考えたというよりも天から自動的に降ってくるがごとくの「感想」が思い浮かばなかったからである。

つらつら考えていたら理由はわかった。何のことはない色彩と質感がシュミではなかったのだった。自分はどちらかといえば冷たくて人工的な色やペラッペラのマチエールを好むのだが、氏の作品は違っていた。この稀代の名画伯の作品を前にそれこそ薄い感想であり、冷静に分析的に見れば種々の感想は十分出るはずとも言えるが、評論家ではないということはさておいて自分にとってはなんらか自作の参考にするために人の作品を見るという動機が大きく、こういう仕儀となったのである。

一方そのあと常設展を見ていて、作家の名前忘れてしまった・・・と言うかメモしたけれどどこにいっちゃったんだろう・・海外の人の作品でシャボン玉に顔料を入れてそれを吹いて紙の上でパチンと割れた時に残った図像を並べてある連作を見て、やたらグッときてしまった。自分も似たようなことをやったことがあるし、技術的構想的にこの人は非常に詰めている。いいではないか。

と、いうことで企画本展の方で個人的に勝手にー5点ぐらいに下がっていた自分の気持ちは一挙にプラス250点方面に跳躍した。やっぱり展示は行ってみないとわからない。そこで何を得るかはほとんど神の采配といってもいいくらいだ。

そうしてこれがいったい鑑賞論と言えるかどうかはわからないけれど、作品はまず一義的には趣味か実利で見るという立場をあくまで個人的にはお勧めできる。実利の部分はそれぞれの人が決めればよい。

誰にとっても実利であるところの例として、「運動」になるというのもある。回転寿司みたいにベルトコンベアに乗っかって絵が流れてくるわけではなく、自分の方が歩きますからね。目の保養をしつつ足腰も鍛えられる、これかなりの実利。

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