今日、旧来の知人から、これまでの人生で聞いたこともない自慢をされた。
即ち、「オレはダラダラできる!」というものである。
彼が言わんとしていたのは、自分が休むという場合はコーヒー飲んでタバコ吸いながらソファで何もせず何も考えずにだら~んとしていられるということ。
翻ってこの私は、いつもコマネズミのように、(体はともかく少なくとも頭は)大忙しであり、しかもその大半が世の大勢にはさほど影響がない(まるで彼は大層大勢への影響があるような言いぶりだ)っていうことらしい。私には、心してダラダラする必要が(もしその能力があるとすれば)しなければならないと忠言されたのだ。
ここで突然「植木等」について思い出す。
彼といえば昭和のスーダラ男であるが、彼を知ってる日本人の多くが、映画の植木等を、なぜか心から尊敬したり好きだったりしているように自分は思うのであって、確かに、「スーダラ」できることもまた、多いなる価値をはらんでいるような気が、すごくしてきた・・・。でもそもそも、スーダラ、ってなんだっけ?sutra(お経)に似ているのがすごく気になる・・。彼はお寺の息子らしいし。
最近BSでやってた植木等モノを何本か見たのだが、びっくりしたのはいずれもかなりの成功物語だということ。状況に応じてスーダラと流れつつ、結局は出世するとか美人の奥さんを得るとかで万事ことごとくうまくいく。現在で言えば殆ど立派なビジネス書的内容なのだった。
やっぱりダラダラなりスーダラなりというのは、見かけほど悪いことではないに違いない。
「スーダラ節」