童形なれば ~ 風姿花伝

実家から持ってきた30年以上前の本をいくつか残しておいたのだが(ほとんどは某インテリ古書店さん~なかなかの値段で買ってくれてありがとうございます・・~と、ブックオフさんに売ってしまった・・)世阿弥の「風姿花伝」に直撃をくらって今嘗めるように読んでいる。最初の方に年齢毎の能の修行の要点などが書いてあるのだけれど、十二、三才の項に、

童形なれば、何としたるも幽玄なり

とあって早速、シビれる(死語)!と思った。

が、シビれた割に意味がよくわからん。なぜまだ幼さを残していると自然に幽玄になると言うのであろうか。でも、はっきりはわからないもののすごくわかる感じもまたする。幼い、即ち大人ではない者はまだ異界に片つっこんでいる、ということなのではないか、とか。

ご存じの通り、「幽玄」及び「花」が「風姿花伝」の中で頻出するキーワードではあるのだが、世阿弥氏は花については比較的説明しているものの(別の記事で書く予定)、幽玄の方はあんまし説明してくれてないのであった。自分で考えないとつまらないのであまりググってはいないけど聞くところによると彼の言う幽玄は今のニュアンスよりもっと具体的であり、品があって優しい感じとかそういう雰囲気なものらしい。

それにしても、童形なれば幽玄、っていいなあ。絵なんかもあまりいぢくっていると良くなくなって、自分という「天然」がでるのが基本やはりよいというのがあるし・・、

もしかしたら書いてあることを完全に誤解しているかもしれないが、よしとする。だって専門家じゃないんだもん!

「風姿花伝」は本当に素晴らしい芸術論だ。絵画というstaticな芸術にも適用できるところはわんさかあるし、これが音楽など舞台でライブでやるものとなったらもうものすごく参考になるんじゃないか。世阿弥は確か50代後半に至る20年位の間に風姿花伝を書いてるから、この最初の方の話はお父さんの観阿弥の教えをなぞっているとはいえ彼が30代後半位の時に書いたものである。

P.S. いくら「専門家ではない」と開きなおってもあまりにあさっての解釈では恥ずかしいと思い横目でWebサーチしてみたところ、「童形」とは即ち稚児の姿をしている、という具体的なことを言っているそうだ。でもまあ、さのみ「あさって」でもないと思うのでこのままのせておく。

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