動きには二種類あり、それは「流れ」と「振動」ではないのかしら。
振動は常に生じており、その振幅や安定性などは変わる。一方流れは、その震えているものが全体として向かう方向性のようなもので、速くなったり遅くなったり、なめらかだったりぎこちなかったりする。あるいは殆ど止まっているように見えるときも。ても、仮にとまっているようでも、次の動きに向けてただ静かに方向付けのポテンシャルを高めているような場合もありそうだ。
人体でも、物質でも、絵のように一見動いていないように見えるものにも、我々はそこに内在するその振動と流れを感じ取る能力を持っていて、何かを認識しているとき、我々はその「動き」そのものと、多かれ少なかれ一体化しているんだろう。
へんなものを見たり聞いたりする不快感は、自分がそれにいくばくかのっとられること、それに侵入されることを、厭がっているのである。