水の中の魚

文章なんかの場合特にわかりやすいと思うんだけど、ほんとうに思ったり感じたりしていて、表出したいと思っていることしか、力のある表現にならない。

美術も音楽もそうだとしたら、何を表現したらいいかわからない場合、表現しないでおくか、ジョン・ケージの言ったように、何も言いたいことがないということを言う、ということに、なるんだろう。

個人的にはあまりそういう気になったことはない。自分の現わしたいもの、興味のあるものは厳然としてあり、あるいは見出されるべく潜在的に存在していて、ただ自分と「それ」との間にある直接的でまっすぐな道に、自分自分が何ゆえか邪魔をしたり、遠回りしたり、不注意で気づかなかったり、あえて迂回したりするなどという事象があるだけだ。理由はわからないが、自分が表現したいもの、その質、というのはあって、それに近づけるか、いかにそれないか、その発現を邪魔しないかが、重要なことなのだけれど、これは容易なことではないし、なんらかの完成形を明確に思い描けるようなものでもない。水の中で泳ぐ魚が陸を動きまわる動物の生活を思い描けないように。そういう意味では、いかなる表現も、ある不可視の過程の途上にあるのである。

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