笑いをこらえるも失敗する

実家から持ってきた古い本の中に、南伸坊氏の名著「モンガイカンの美術館」があり、30年以上の時を経てそれを読み返しているのである。ところがあまりにおもしろすぎてなかなか先に進まない。なぜなら、自分は家で本を読むのが好きでなく、スタバやなんか外の喫茶店とかレストラン、電車の移動中などに読むことが多いのだが、読んでる途中であまりの面白さににやついてしまい、恥ずかしくなるので一回に少しずつしか読めないからだ。

この件で思い出したことがある。

以前勤めていたところで会議に出ていた。そこには非常にもの静かで無表情な、当時の自分より大分年上の同僚のおじさまが出ていて、彼は謹厳実直な見かけで口数も表情も少なく、人からものを尋ねられても1拍どころか7.5拍くらい遅れて、待ったワリには期待にそわない地味で少しピントのずれた答えをなさるという方であった。笑っているのを見た記憶がない。

その人を含めた会議の席上、隣に座っていた別の同僚が私に「ああいう人、アメリカにはいないよね・・・」と耳元でささやいたのである。それが自分のツボを直撃してしまい、笑いをこらえるために身悶えしている気配を察知したささやいた本人も間接的にツボを刺激されたらしく、私の記憶が正しければ我々の我慢は15秒ほどで限界に達しとうとう二人で吹き出すに至った。会議をしきっていた上司に睨まれたが、「理由」を聞かれなくてよかった。聞かれても白状する訳にはいかなかったからである。当該のおじさまがその間も一切表情を動かさなかったのは言うまでもない。

自分の頭の中にはアメリカ人なら皆が皆そうである訳のない「アメリカ人」のステレオタイプが押し込まれており、それがいきなり浮かび上がって目の前のそれとは地球半周分くらい距離のあるおじさまの姿との間でスパークしてしまった。それが「笑ってはいけない」環境でおこると、もう我慢できない位笑いの内圧が高まってしまったのである。

少々不謹慎だが以前ある悪天候の日に法事にでた時、アイロンのぴしっとかかった立派な礼服に色は合っているとはいえ超グロスの黒いゴム長靴を履いている人がお焼香に現れた途端、笑いをこらえる同様の苦しみにさいなまれた。状況においてはアメリカ事件と近いものがある。もしかしたら自分は特段に、この種の状況に弱いのかもしれない。

まあでもギャップって大事ですけどね。芸術はそれが動作原理であり、目的でもある。

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