視覚の易被刺激性

「意を決してとうとう、橋渡っちゃったんだよね~。」
「どこの橋?」
「あ、間違った。川!  ルビコンの・・・。」

と、いう会話を興奮気味に知人としている私が何のことを言っていたかというと、近所にトランクルームを借りたのである。ルビコンを持ちだした理由は、少なからぬ固定費が毎月ダダ漏れなのに、詰めとくだけでは1円の利益も生まないから。それで暫く迷っていた。

ともあれ、目的は、「視覚資源の拡大」である。大型の額縁とか描きかけのパネルやカンヴァス、必ずしもいつもあるいはすぐに使う訳ではない画材等々が大量に置いてあると部屋の中を動いたり掃除したりするのが多少不便になるが、それはさほどの実害ではなく、実害は部屋よりも脳のスペースを取られるということ。視覚に入ると考えたりそれまで考えてたことが干渉されたりする、自分は視覚の被刺激性が異常に高いのである。

「でもさ、そういう性格を直した方がいいんぢゃない、キリないよ・・・。」と私がまだ検討中だった頃に件の知人に言われた。それはもう絶対に真実だ、と私の理性は言っている。アインシュタインを筆頭に、世の中で大事を成した人の机や部屋は豪勢に散らかってるというではないか。美術家で言えばフランシス・ベーコンが代表選手である。だから、目に入るものごときで感覚や感情がふらついててどうする・・・(だからといって自分はそこまでの偉業を成そうとは思ってないけれども)。

という罪悪感があるせいか、ゴミ屋敷に暮らす(暮らせる)人々のことがかなり気になる。

知り合いの一人などは、「私がためるのは無機物のゴミの系統で有機物ではないから、清潔」みたいなことを自慢気に語っていて、そういう分類軸を自ら打ち立てるのは、すごいと思った。

前にこのブログでもゴミや散らかりに大変に鷹揚な人々の話は書いた。

ともあれ、本当にキリがないのか、少しは落ち着いていくのかはこれからの実験。

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