言葉には気をつける

昨日テレビを見ていたら、糸井重里氏が阿久悠氏の歌詞が、時代(を描く)というキーワードが出てからつまらなくなった、いわゆる啓蒙的になっていって・・、というようなことを言っておられた。自分は阿久悠氏やその作品について深くは知らないのでこの言の正当性については判断できないものの、言葉が芸術方面において時にとても有害な働きを及ぼすことは確実だと思う。

言葉は常に現実からはずれている。ずれている上に、非常に強力な意識と行動の統制力があって、それはえてして鋭く狭く、少しズレた方向に、我々をもっていくからである。Statementは作品のあとに、という話とも関連している。前にがっつり「考え」ると、これに縛られるからだ。

ただ、最近少し考えているのは、学んでいる最中や構想、また振り返りの際には意識的・言語的に思考してもよくて、制作においては直観と感覚しか使わないという、インプットとアウトプットにおける脳のモードを変えることが重要では、という仮説である。これに、即ち言葉の使い時に習熟するならば、言葉はさほど怖いものではないかもしれない。

一方ビジネスの場合なんかだと行動指針とかヴィジョンとか、はっきり言語化してた方がいいことは多いとは思う。大体において複数の人が関わるから、バラバラにしないため、というのがテクニカルな理由としてもある。またこの分野では、非常に優れた言語感覚をもって統率や意識・行動の変化を促進するという才もあるだろう。経営コンサルタントの横山信弘氏によるこの記事には感心した。

日本企業はもう「イノベーション」という言葉を使うべきではない

似た内容の過去の記事:
感覚のクリアネス
感じ
認識と成果

同じカテゴリーの記事

  1. 感覚

  2. ケーキ

  3. 信じない

  4. 疑問

  5. 「感じる」と「考える」 

  6. 音楽

Blog「原初のキス」