息をすること、わかること

最近知人と、ふとした時に不必要に息をとめていることがあると話していたのだが、自分が関わっているアレクサンダー・テクニークという身体技法で関連のコラムを書いた人がいて、これは音楽家向けに書かれているものの大変参考になる。

呼吸は腹部中心に考えがちだが、全身でしている。

読んでいるだけでラクになるのだが、アレクサンダー・テクニークのレッスンの経験があるからということもある。改めて考えなければ知っていることすら忘れていることは多い。呼吸は全身でしている、とかもこの類。からだは全部つながっているから、言ってみればあたりまえだが、普段そうは感じないし考えない。

やってみなければ、体験しなければ、「理解する」ということの端緒につくことは多くの場合、ありえない。またその理解も、デジタルなものでなく、じわじわと、ディテールや深度を変えながらわかってくる。そういうところが、「理解」に関しておもしろいところで、これが端的に現われるのが、身体というものに対する理解である。

ホルン考:ホルン吹き「バジル」のブログ。考えるホルン。

 

 

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