美しくなければやりたくない

最近、全部とは言わないが色んな国々の為政者の振る舞いや施策を見ているに、美しくなければやりたくない、というようなシンプルな倫理的美意識に基づく行為、あるいは行為しないことが選択されるなら、世界はこのようではないであろうと思う。各国の政治に関わることになるような人々は行動力も知力も基本的には優れた人々のはず(欲の皮だけつっぱってるとはさすがに思いたくない)。そのような方々にしばしば欠けているものがこの倫理的美意識であるとすれば、大変残念だ。

倫理的な美に従うということは単に、利己的な理由を第一義として他の生命を侵害せず、建設的な協調を実現すべく人として希有にも与えられた知性を使うということ。

そんなめちゃくちゃ難しいこととも思えないが、これを全世界的に実践するのが難しいままに人類は既に長い長い道を歩んできた。

さて、できることは何か、取り急ぎ自分だけは、できうる限りの倫理的美的感覚を持ち続けるということ。

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