制作物に関して言えば、自分は人になんと言われても殆どへこまない。たまさかほめられても過剰に喜ばない。人の言うことは聞き流さず全て聞くが、助言なり採否は自分で決める。
(ただ自分で決めているつもりで、多少なり影響を受けることを避けるのは難しい。なぜなら肯定的でも批判的でも、言った人が美大の教授であれ初めて画廊に足を踏み入れた方であれ、彼らの発言に明らかに「一片の真実もなかった」ことは今まで一度もなかったからである。)
あとで振り返って思い出としてのおもしろさという点で「おいしい」のは、いわゆる酷評。大分以前になるが何かのパーティで、私の当時の作品図像を見た初対面の人が、「こんなものを創っている人にも、何か表現したいものがあるなんて。」とさらっと言ったのだ。
ちょっと日本人の発言と思えない率直な感想に思い出す度に微笑んでしまい、どうせならこれ位パンチのあることを言ってくれた方が自分としてはトクな気がする。それにこの人がそう言った意味とは恐らく違うとは思うが、ここにも真実はある。自分は何かを表現したい、という能動的な動機というより、何かを結果として表現させられる媒体になりたい、という関心の方が断然強いからである。