先般、ヨーロッパの著名なパーカッショニストの方と会食する機会があって、彼が生徒をとって教えてもいると聞いて、最初はどんな風なレッスンから始めるのか、と聞いてみた。彼の答えは、
その生徒がどんなことをやりたいか、何を表現したいのかを聞いてみる、そして、その実現のために必要な技術要素を教え始める、ということであった。
これは結構衝撃を受ける答えだった。なぜなら小笠原流礼法という武家の作法を習っていた自分として日本の教え方というものが、まずは型を仕込み、その後かなりたってからの過程において表現性みたいなものをじわじわと理解し追求していくという流れをもっていることを体感的に知っているからである。小笠原以外の自分の受けてきた教育体験(義務教育を含め)としても他の分野でも、多かれ少なかれこの一種のお作法みたいなものを踏襲しているように思う。つまり彼の言ったこととは、真逆なのである。