「作り方がわからない」は「情報」である ~ omnis「EVOLVING」展@渋谷ヒカリエ

作品には作品として、更には良い作品として成立する情報密度とでもいうものがあるように思う。ある大きさや形態の作品において受け取る情報の総量が「みっちみち」でも「すっかすか」でもあまり面白くないのであって、これは作品の構想にも関連する上に感覚的なものなので言葉としてうまく説明できないが、とにかく情報密度ってものはある。それが不適切だと、なんだか関心が継続できない。我々の誰もが、多かれ少なかれそんな風に芸術作品を見て体験しているのではないか。

絵を見る時の自分の主たる関心事はこの情報密度と、それから「どういうプロセスで作られているのか」という2点である。後者については、わかったり想像ができれば参考になるし、全然わからなければそれはそれで刺激的なのであって、プロセスを考えることはいずれにせよ鑑賞の大きな喜びなのだ。

そういえば「作り方がわからない」というナゾも立派に情報密度の一部を成す。
情報は脳への刺激であって、ナゾという刺激は鑑賞者を絵の前に滞留させる。そして作品が観る者にとって良いと認識されているか否かは実はこの滞留時間で測れる(かもしれない)。

前置きが長くなったが渋谷ヒカリエCUBE 1, 2, 3で開催されているomnis「EVOLVING」展。
入り口の正面に展示されており、メインビジュアルにもなっている金子透氏の作品の制作プロセスは自分にはわからない(仮説がゼロではないが恐らくハデに外すのでここでは述べない。いわゆる絵画技法のみというより他の技術技法領域も参照されているような気がする。あるいは絵画技法を「還元・強化」しているかもしれない)。

面白いと思ったのは、これを見ているとなんとなく時間感覚みたいなものが刺激及びいい意味で混乱させられるのだが、それはこの作品のイメージから来ると共に制作プロセスやその所用時間がよくわからないということから来ているように感じる。もしかしたらものすごく時間がかかっているかもしれないし、大画面だが比較的短期間かもしれない。・・・前者かな、とすればこの霧か砂か雲か、飛ぶ鳥のようなものが漂わせる瞬間的な無常感を、堅牢/構築的で手の込んだ制作プロセスが支えており、見かけとプロセスの距離が我々が感じる情報密度の一部を成しているのかもしれない(と、妄想は膨らむ)。

omnisは現代美術家金子透氏率いる芸術家集団。展示の他の作も上品な精神性を感じるものが多い、清冽なる好展示。

omnis「EVOLVING」展
イメージの解体 リアリティへの挑戦

1月30日まで。

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